『ペンギンの島』 タイトルから想像できない痛烈な歴史パロディ!(ネタバレあり)

 今日は小説についての感想です。『ペンギン・ハイウェイ』を見たからというわけではないですが、先日『ペンギンの島』を読み返し、自分なりに整理したいと思い感想を書いてみることにしました。

あらすじ

 

悪魔に騙された聖者マエールは間違って極地のペンギンに洗礼を施してしまう。天上では神が会議を開いて対応を協議、ペンギンたちを人間に返信させて神学上の問題を切り抜けることにし、ここからペンギン国の歴史が始まった。古代から現代、未来に至るフランスの歴史をパロディ化、戯画化に語り直した、ノーベル賞作家A・フランスの知られざる名作。(引用:アナトール・フランス『ペンギンの島』白水社、2018年)

 

 

 アナトール・フランスという作家の、1908年に書かれた作品です。彼はキリスト教への懐疑や悲観主義を抱いていた人間で、その性格が本作の中にも表れています。またこの作品は創作ですが、あらすじの通り実際のフランスの歴史のパロディでもあります。そのためか、本作は歴史家がペンギン人の歴史編纂を目的に作ったということになっています。この記事では、一章ごとに内容を取り上げ、現実の歴史との照合をしていきたいと思います。

第1の書:起源

 キリスト教の聖人マエールが、悪魔に騙され、布教の途中で遭難したことで、ペンギンのいる地へ漂着します。ここで彼は遠くにいたペンギンを人間と勘違いし、誤って布教を施してしまうのです。ここから物語が始まります。この章の見所は神々の会議です。人間でないものへの布教は有効なのか。議論の末、動物には魂が宿っておらず、布教は不完全なため人間へと変身させるということで決定します。そしてマエールは人に変えた彼らを島ごとヨーロッパに連れていく。本章には、キリスト教の人間本位な観念への批判が見られ、アナトール・フランスの皮肉の効いたものとなっています。この章はフランスの歴史というより、キリスト教への問いとなっており、ペンギンという可愛らしさでごまかしつつも、人間主体の傲慢さを指摘しているとことが面白いです。

第2の書:古代

 人間に変えられたペンギンですが、彼らの生活は動物とは変わりませんでした。マエールはそれを見て、貞淑を彼らに求めるため服を着せます。すると彼らの間に美意識や人間的な性欲が芽生え始めます。エロスを排除するための衣服という意図だったものが、裏目に出たわけですね。現代でもそうですよね、「着た方が逆にエロい」「全裸じゃエロくない」といった声はよく聞きます(笑)。さらにマエールは弟子の協力もあり、ペンギンの間に戸籍、身分制を作ります。これにより彼らは良い意味でも悪い意味でも人間的な生活を手に入れるのでした。こうしてペンギン人は姿だけでなく、生活に於いても人間となります。ここがターニングポイントとなり、彼らは様々な意味で「人間らしさ」のある生き方をするようになります。

 本章の魅力はその後、「アルカの竜」の伝説の場面です(アルカとはペンギン国の別称)。クラケンという男が、夜な夜な竜に変装し、ペンギンの島で盗みや人さらいを行っていました。彼はさらった一人の女オルブローズを嫁に迎えます。しかしオルブローズはしたたかな女性で、逆にクラケンに、「竜」の変装を用いて名誉を手に入れる方法を教えます。今までさらった子供たちを竜に変装させ、それをオルブローズとクラケンが打ち倒すという自作自演を仕組んだのです。竜を倒し「食べられていた」子供を救ったクラケンは英雄となり、ペンギン国が彼を頂点とした王政へと移り変わり、本章は終わります。ここでは神話の真相がいかにチープであるかということを示しています。またオルブローズも一度竜に襲われながらも生きながらえたということで聖女として祭り上げられますが、上記の自作自演を仕組んだことに加え、クラケンの外出中には他の男と寝ていたという、とても聖女とは言えない奔放な性格をしています。オルブローズは以降も聖女として語り継がれるのですが、真実を知っている我々からすると随分滑稽に映ってしまいます。宗教上、そしてナショナリズムとしての神話なんてこんなもんだよと言った、アナトール・フランスの皮肉が痛烈に現れた章だと言えますね。個人的にはこの章が一番皮肉が効いていて、かつのちの物語を考える上で重要になっていると思います。

第3の書:中世およびルネサンス

 ここではその後のペンギン国の王朝について、数人の人物をあげながら記述しています。ヨーロッパ中世らしい血なまぐさい戦争や、貴族による理不尽な言動がオムニバス的に楽しめる章となっています。実際にヨーロッパ中世に関する歴史書を読んだことある人なら、「このノリあるわ〜」って思いながら読めますよ!それとルネサンスでは、ダンテの『神曲』のパロディの物語を書いていますが、それよりも、中世の教会によりペンギン人の芸術が破壊されたことへの言及が印象的です。実際、中世では古代ローマギリシアの芸術は失われ、復活したのはイスラームで保存されたものが流入してくるのを待たねばなりませんでした。アナトール・フランスの思想を考えると3章で最も注目すべきところはこのパロディだと言えるでしょう。

第4の書:近代 トランコ

 フランスの歴史といえばナポレオンを思い浮かべる人が多いのではないでしょうか。しかし、『ペンギンの島』では彼のパロディはほとんど存在しません。一応トランコという人物がそうなのでしょうが、「世界の半分を征服したが、最終的にはペンギン国の領土を減少させた。後に残ったのは栄光のみ」ということを、伝聞形式で記述しているにとどまっています。解説では、後にナポレオンモチーフの小説を発表する予定だったためではということでしたが、フランスの歴史を皮肉るのなら、あえてフランスの栄光であるナポレオンをすっ飛ばすというのはわかる気もします。ちなみにフランス革命にもほとんど触れず、いつの間にかペンギン国が共和制へと移行しており驚かされます(笑)。

第5の書:近代 シャティヨン

 この章では、シャティヨンと呼ばれる貴族の青年の物語を、ブーランジェ事件のパロディとして描いています(ブーランジェ事件は軍部や王党派のクーデターのことです。詳しくはhttps://www.y-history.net/appendix/wh1401-075.html)。愛人に惑わされたところなどそっくりなのですが、本章で彼より印象的に記述されているのは、シャティヨンを扇動し、クーデターを計画したアガリック神父です。この人物は一言で言うとクズ。崇高な目的を持っている(と勘違いしている)ために、他人の迷惑を考えられなくなっています。自らの思想のためには、他の犠牲をいとわない人なのです。彼に関わったものは皆不幸になっており、シャティヨンは亡命、資金提供をした友人の神父は財産や事業を停止されてしまいます。にもかかわらず彼は計画の失敗を自分の責任と考えず、懲りずに次章でも登場します。権威にかまけ、他を顧みない、しかもそれに後ろめたさを感じていないアガリック神父は、まさにアナトール・フランスの批判したいキリスト教の象徴なのではないでしょうか。

第6の書:近代 8万束の秣事件

 ここでは「ドレフュス事件」(https://www.y-history.net/appendix/wh1401-076.html)のパロディとして、ピロと呼ばれるユダヤ人が秣(馬の餌の干し草のこと)を隣国へ売り飛ばしたと冤罪をかけられる事件が記述されています。本章は最も長く、アナトール・フランスが実際にドレフュス事件に関心を持っていたことからも、ここに力を入れていることがわかります。更に、ピロへの差別にはパロディを用いずユダヤ人差別だということを直接的に表現しており、読者へのメッセージ性の強い章であることもわかります。本章で印象的なのはペンギン人の将軍で、冤罪をかけた人物であるグレートークの言葉。以下は、ピロを有罪とする証拠を、彼の部下が集めている(冤罪なのでそもそもないのですが)場面です。

 

 「証拠なんかないほうが、もっといいかもしれないんだ。前にも君に言ったはずだよ、パンテル君、否定しがたい証拠はただ一つしかない。それは犯人の(あるいは無実の者の、どっちだって構わないさ)自白だってね。」

「証拠としては、概して偽物は本物よりまさっとるもんだ。第一、事件の必要に応じて、注文に合わせて、あつらえどおりに、特別に作ったものだし、まただからこそ正確でもあるし、正当でもあるからな。」(アナトール・フランス『ペンギンの島』白水社、2018年、246〜247ページ)

 

 

 ……読んでいて頭が痛くなりますよね。アナトール・フランスがいかに反ユダヤ主義者、ドレフュス事件を引き起こした人を軽蔑していたのかということが、グレートークの言葉から読み取れると思います。ちなみに前章で登場したアガリック神父も、ピロ事件に対し軍部を支持する形で参加します。本当こいつは……。

 ピロは、コロンバン(ドレフュスを擁護した人物のゾラがモチーフ)や家族、そして証拠の不備を暴いてくれたショースピエ判事の助けもあり、無事に無罪となります。8万束の秣事件は、反ユダヤを痛烈に批判するパロディです。他の章に比べ、アナトール・フランスの主張が強く表れている部分だと思います。更にはビドー・コキーユという、彼をモチーフとしたキャラクターの語りから、他の章では現れなかった彼の主観が大きく入り込んでいるのも特徴です。彼の、現実でも積極的にドレフュス事件に関わっていたという経験が染み込んだ、最も主観的で、最も力のこもった章がここだと言えます。

第7の書:近代 セレス夫人

 この章は、セレス夫人という女性が、成り上りを目指して、内閣の大臣の妻となり、さらには首相とも関係を持つ物語です。傾国の美女的な感じですかね。そうして嫉妬に狂った大臣が国を混乱させ、隣国はこのスキャンダルを厳しく非難、ペンギン国内情勢は大きく動揺します。内閣を立て直すため海外軍事遠征を行うも、それへの隣国の批判、経済危機から、ついには世界を巻き込む戦争へと発展していきます。一人の女性をめぐる問題が、何人もの人の命を奪う大惨事へと発展していくこの章は、帝国主義、資本主義の暴走を危惧するアナトール・フランスの思いがわかります。そして、この章にはかなり驚きの要素があります。世界を巻き込む大戦へと発展するという内容、これは現代の我々から見れば二つの世界大戦を思い浮かべるものですよね。しかし『ペンギンの島』が書かれたのは1908年、第一次世界大戦が始まるのが1914年ですから、これは予言とも言えるのものなのです!彼の危惧は見事に的中したというわけですね。『ペンギンの島』では実際の世界大戦の時のような複雑な国際関係が存在していたのか書かれておらず、全く同じ出来事ではありませんが、ペンギン国一国の中で、膨張する資本主義の行く末を予言したアナトール・フランスが当時の状況をどう捉えていたのか、本章を読めばわかるようになっています。

第8の書:未来

 歴史書で未来なんて書いていいのかとも思いますが、そもそも歴史パロディ物なのでそういうことは言いっこなしで。戦争が終わろうとも人々はその原因を顧みることなく、より一層の工業化へと突き進んでいきます。冒頭にはそれを象徴する一文が。

 

 人々はいかに建物を高くしても、十分と思わなかった。ますます高くしていっった。(アナトール・フランス『ペンギンの島』白水社、2018年、346ページ)

 

 

 

 資本主義、工業化の暴走が止まることなかったことを示した文章です。そして人々の間に経済格差が生まれ、治安の悪化、再びの大戦へと突き進みます。1908年時点で世界大戦の予言とも言える文章を書いたアナトール・フランスですが、ここではそれが繰り返されることも予言しており、人間の愚かさに対する彼の悲観的な見方が反映されています。本作の最後では行き過ぎた文明により世界が滅びてしまうのですが、やがて生き延びた人類が再び文明を築き上げる中で、上の引用はもう一度使用され、文明が滅びようとも歴史が繰り返されることを示唆してこの物語は終わります。歴史は循環する、そして人間の愚かさも。『ペンギンの島』は、フランス史のパロディ、キリスト教のパロディであると同時に、人間そのものを「ペンギン人」という架空の存在でパロディ化し、皮肉るものでもあったのです。

 

まとめ

 いかがだったでしょうか。全部を簡単に見ていくと、1、2の書ではキリスト教批判、3から6の書ではフランスの史実になぞらえたヨーロッパのパロディ、そして7、8の書では文明の暴走への批判と悲惨な戦争が繰り返される未来を危惧していたということがわかりますね。ペンギンという可愛らしく、和む存在に人間の愚かさを背負わせることで、見事に人間社会のパロディとなっているところが本作の特徴ですが、そのパロディで行われる批判がかなり深く、未来への言及も見られるところが最大の魅力であると言えるでしょう。その他にも、物語で登場する聖職者の引用する聖書の一句が絶妙におかしいなど、歴史に精通していればしているほど笑えるネタも満載なこの『ペンギンの島』。決して有名な作品ではないですが、私たち現代人にも刺さるアナトール・フランスの思想を、ペンギンを介して学ぶことのできる傑作です。ぜひ読んでみてください!

 

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